道議会議員大崎誠子
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プロフィール〜これまでの私をご紹介致します
私の今までの人生を振り返り、プロフィールという事で書かせて頂きました。

函館で生まれ、一人娘でありながら大学生の時から両親と離れ、自分の選んだ道を歩んで参りました。
そしてこれからも自分の信念に従い歩んでいく大崎誠子を、お読み頂くことでより深く知って頂き、「皆様と共に明日を変えたい!」と思っております。
幼少期
1956年
8月28日
函館市にて生まれる。
【写真】赤ん坊の頃
余りに大きな泣き声で両親も驚いたとか・・・
【写真】函館にて
父のオートバイにまたがっていろんな所へ行きました。
名物 大沼だんごを食べるのが楽しみでした。
1975年
3月
函館私立遺愛女子高等学校卒業
1979年
3月
明治学院大学社会学部卒業

余りにも泣き声が大きくて、町内で評判??の赤ちゃんでした。
その声の大きさは今も続いています。
声の大きさに反比例し、どういう訳か人みしりが激しく、家にお客様が来ても押入れに入って挨拶も出来ない程の内弁慶でした。

小学校に入ってからは、毎日近所や学校の友達と遊んでばかり。
やっと人みしりが直ったようで、中学校では生徒会の副会長に立候補し、初めての演説に足がガクガク、胸はドキドキしたのを今でも覚えています。

女子高時代は、苦手な授業をサボって隣の教室で授業を受けたり、授業中ポテトチップを食べながらマンガ本を読んだり、あまり真面目ではなかったようで、学校帰りに毎日食べたラーメンとパフェの味が忘れられません。

大学時代は、旅行研究会に入り本格的に「旅」の楽しさに目覚めました。アルバイトをして、お金が貯まると旅に出て、日本各地の町のたたずまい、その町独特の匂いに酔いしれていました。
幼少期

1979年
4月
uhb北海道文化放送入社。「テレビ道新6・30」など担当。
【写真】北野武さんと
ビートたけし(今や世界の北野武監督!)さんとクイズ番組を担当。

【写真】高倉健さんと
高倉健さんと一緒に!!
実は私の憧れの人なんです。

【写真】佐々木基晴さんと
民謡の佐々木基晴さんと「北海道の芸能」を披露する番組の司会を担当。

当時も女子大生にとって厳しい就職状況でした。
にもかかわらず、放送局のアナウンサーの試験しか受けなかったのでお正月が過ぎ、卒業間近になっても、就職先が決まらず焦っていました。
でも、最後まで夢を捨てずに頑張ったら、最後に札幌の放送局(北海道文化放送)に希望通り就職する事が出来ました。
この時、初めて「夢をあきらめてはいけない」「最後まで自分が納得するまでやらなければならない」と言う事を学びました。

入社してからは、ニュース・バラエティ・スポーツといろいろなジャンルの番組を担当しました。
倉本聰さんにインタビューする時、1週間前から緊張して3kgも痩せた事がありました。
年の暮れに、堂垣内元知事とお正月番組を収録した時、最後の10秒を残して「それでは皆さん良いお年をお迎え下さい。」と言って番組を締めてしまった事もありました。知事がお忙しいので、撮り直さずそのまま放送しました。
その他失敗は数々ありますが、毎日大勢の方にお会い出来、いろいろなお話しを聞かせて頂いたのは、後々私の貴重な財産になりました。

アナウンサーになって、あっという間に7年が過ぎていました。
そして30歳を前に、「これでいいのかな?」と自問自答する日々が多くなり、アメリカへ行く事を決意しました。

これが私の人生の一つの大きな転機になりました。

幼少期

1986年
11月
アメリカワシントン州州都オリンピアで語学研修
【写真】アメリカにて1
大学の学園祭で日本語を教え、地元の放送局に取材を受けました。
【写真】アメリカのクラスメートと
本当に素敵なクラスメートです。
【写真】アメリカにて2
イタリア人とスイス人のクラスメートと一緒に。
スタイルにお国ぶりがうかがえます。

語学が堪能な訳でもなく、アメリカに友人が居る訳でもなく、心細い気持ちで行ったアメリカでしたが、行って「良かった」の一言に尽きます。
「日本」を改めて考える良い機会になりました。
私が暮らしていたのは、シアトルのそばのオリンピアという人口3万人の小さな町、ワシントン州の州都です。オリンピアの人は、外国人を受け入れる包容力が大きくとっても居心地の良い場所でした。
私が通っていた学校には、メキシコ・フランス・スイス・ブラジル・ベトナム・韓国・ドイツ人と各国から学生が集まっていて、今まで接したことのない文化、習慣、考え方に驚きながらも、いろいろ考えさせられました。
特に「自分の国についてどう思うか」という事でディスカッションした時、皆それぞれ意見が言えるのに、私を含め日本人学生は、「日本」について何も言えない、考えていないという現実に直面しました。
外から日本を見直すことで、初めて自分の国のあり方について考えました。
幼少期

1988年
4月
「uhbスーパータイム」キャスター
【写真】UHBニュースにて
本番は全力投球!ニュースが終わった後は毎日ぐったりでした。
【写真】スキージャンプ大会にて
大倉山でのスキージャンプ大会の司会。世界に名だたる日本ジャンプ陣をまぢかで見て感激。
【写真】前夕張市長中田さんと
前夕張市長中田鉄治さんとの出逢いもありました。
映画を愛したした人生・・・天国でも様々なアイディアを出されている事でしょう。
1991年
4月
Tvhテレビ北海道入社。
(主に道政・経済を担当。拓銀の破綻をはじめ、エア・ドゥ、太平洋炭砿、道議会、選挙などの取材に関わる。)
1997年
4月
札幌国際大学非常勤講師
2002年
4月
Tvhテレビ北海道報道部次長
札幌国際大学評議員
2002年
7月
Tvhテレビ北海道退社

uhbスーパータイムのキャスターとなり、報道に復帰しました。
少しでも分かり易く伝えることを心掛けていました。
その後、Tvhの報道部に移りましたが、この時の記者生活で各方面、各分野の大勢の方々と出会い、いろいろ学ばせて頂きました。
多くの声を聞くことが出来た事は、政治に携わることになって大いに役立つものと思います。

そして、記者時代は現場主義を信条としていました。
机の上で、いくら考えても原稿は書けません。問題も解決しません。
問題がおきたら、とりあえず現場に行って話を聞くことが、私のモットーでした。
このフットワークの軽さも、政治活動に役立つものと確信しています。
幼少期

2003年
4月
北海道議会議員に初当選。札幌市東区より選出。政治活動をスタートさせる。
【写真】選挙活動
道議会議員選挙の「第一声」
放送のマイクを、政治のマイクに持ち替えた瞬間。
【写真】選挙活動2
皆さんの声援が大きな心の支えでした。
【写真】当選
一足早く「当選」が決まり、「万歳」
皆様、ありがとうございました。

約半年間の準備期間を経て、北海道議会議員に初当選致しました。
半年間、多くの方々から御支援を頂いたことに心から感謝致します。
今、北海道の経済状況は大変厳しい状況にありますが、新しい産業の芽も育ってきています。明るく活力ある東区づくりのため、北海道発展のため、力を尽くしたいと思っています。今後も皆様の御指導、御支援よろしくお願い致します。
      
2007年
4月
札幌市東区より北海道議会議員2期目当選。
【写真】遊説を終えて
無事遊説を終えることが出来、皆様に感謝とお礼。
【写真】選挙活動2
28.937票を獲得し当選。

前回は無投票で当選。2期目の今回は激戦区と言われる東区で選挙を戦い抜かなくてはなりませんでした。多くの方々から御支援を頂き、初めて頂いた票が28,937票です。

総合政策委員会 副委員長
道州制・地方分権改革等推進調査特別委員会 委員
自民党道連女性部長

      
2011年
4月
札幌市東区より北海道議会議員3期目当選。
【写真】軽自動車で遊説
軽自動車で遊説遊説

【写真】34,171票を獲得し当選
34.171票を獲得し当選。

東日本大震災発生間もなくの選挙でした。軽自動車でガソリンの無駄を無くし、街頭演説を中心に政策を訴えさせて頂きました。3期目、今回も激戦区と言われる東区で選挙を戦う事となりましたが、34,171票を頂きトップ当選を果たす事が出来ました。前回以上に票の重みを胸に刻んで初心を忘れず全力で頑張って参ります。今後も皆様の御指導、御支援よろしくお願い致します。
      
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